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ボールペン [文具]

ボールペン1.jpg たいていの人が日に一度は手にする筆記用具といったら、ボールペンだよね。芯はインクの注入された細い管で、先端に金属やセラミック製の球がはめ込まれている。このボールが筆記面で回転するとインクが送り出されて字を書くことができるという、理屈そのものは非常にシンプルなものだ。
 ただ、それを実現するのは大変なことだった。先端のボールは精度の高い球体である必要があったし、その球を回転できるようにペン先に固定させる技術も編みださなけりゃならなかった。よしんばペン先が完成したとしても、今度は普通のインクじゃ多量に出過ぎて滲んじゃうので、専用の高粘度インクの開発は避けて通れない課題でもあった。
 なのでアメリカのジョン・ラウドがボールペンのアイデアを考案したのは明治17年(1884)と早かったのに、ハンガリーのビーロー・ラースローによって世界初のボールペンが完成したのは昭和18年(1943)のことだった。それも完成度という点ではイマイチで、ほぼインク漏れのない安定した製品が市場に出回るようになったのは1950年代に入ってからだった。
ボールペン2.jpg 国産初のボールペンは、昭和23年(1948)にセーラー万年筆によって発売された。戦後まもなく、米軍兵士の持っていたボールペンを当時の開発担当者(詳細不明)が入手し、ペン先の構造やインクを手本にゼロから開発を行って作り上げたというから驚きだ。アイデアから実用化まで60年以上もかかった技術を、手本があったとはいっても数年でクリアしてしまったことになるもんね。サル真似とバカにされがちな昭和の技術者たちだけど、本当にそうなのかな? 



■ボールペンでドラゴンを描いています。思わずみとれちゃいます♪■

http://www.youtube.com/watch?v=8RmIzIL2bco


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ソックタッチ [雑貨]

ソックタッチ.jpg 靴下のズレ留め『ソックタッチ』の存在を知ったのは、ぼんくら少年が中2のことだ。バスケットボールをやっていたぼんくら少年が練習中や試合中にハイソックスがずり落ちるのを苦にしていたら、妹が貸してくれたのだ。
 使い方はとてもカンタンで、靴下を固定したい位置から約1センチほど下の部分の肌にソックタッチの液を塗り、靴下を履いて上から軽く押さえればいい。用が済んだら濡れたタオルで拭き取るか水で洗い流せば取れちゃう。ぼんくら少年はゴムのきついソックスを長時間履くと押さえつけられている部分が痒くなってしまうので、多少使い込んで締め付けの緩くなったソックスを固定することができて大助かりだった。
 ソックタッチはコギャルが登場するよりも以前の昭和47年(1972)に白元から発売された。白元創業者の鎌田泉さんが孫から、
「ハイソックスがずり落ちてどうにもならない。どうにかならないか」
 という相談を受け、自宅にあった薬品でノリを作って渡したというのがきっかけだったそうな。これがお孫さんの友だちの間で大評判になったので試しに商品化してみたら大当たりしたわけだ。当時は男女の別なく子どもたちの世界で空前のハイソックスブームが起こっていて、ずり落ちるハイソックスに苦労する子どもたちが少なくなかったのだ。
 もっともブームが去ると当然のように売れなくなり、一時は生産を中止して製造機も廃棄してしまい、製造法すら忘れ去られてしまった。
 それが平成に入ってからのコギャル・ブームで再び脚光を浴びることになる。
「ルーズソックスを固定するのにはアレっきゃない!」
 とファッション業界から白元に再販のリクエストが殺到したのだ。慌てた白元では、とうの昔に定年退職していたパートのおばちゃん達に声をかけまくってソックタッチ製造チームを再結成。6畳ほどの製作室で再び製造を始めたということだ。現在も製造規模は再結成当時と変わっていないんだけど、そんな状態でも年間の製造本数は軽く1000万本を超えちゃうというから驚きだ。
 エタノールを溶剤としたアクリル系接着剤に香料を施した分かりやすい成分で、アレルギーも起こしにくいことから、現在ではソックスばかりじゃなく衣類全般のズレ留めに利用されているということだ。もう製造機を捨てなくてもよさそうだね(笑)。
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しばたはつみさん、逝く [音楽]

しばたはつみ.jpg 一昨日の27日、しばたはつみさんが亡くなった。享年57才。心筋梗塞だった。
 このブログでも扱ったCM『レナウン娘』や小川ローザ出演の『OH!モーレツ』を歌っていたジャズ・シンガーだ。
 昭和27年(1927)、ピアニストの父とヴォーカリストの母という音楽一家に生まれ、9才で米軍キャンプで歌い始めた早熟の歌手だった。その後も11才でクラブと専属契約を交わし、15才からはCMソングなどのスタジオワークをスタート。20才で単独渡米し、2年間ほどアメリカのショー・ビジネスの世界にも身を置いた。
 日本では昭和49年(1974)に『合鍵』でメジャー・デビューを果たし、昭和52年(1977)にマツダ・コスモのCMに採用された『マイ・ラグジュアリー・ナイト』は大ヒットとなって同年の紅白歌合戦にも出場。現在までにシングル33曲、22枚のアルバムをリリースし、国内外でのコンサートやディナーショーを年間100回以上をこなす国際派のシンガーとしての地位を確立していた。平成8年(1996)には日本ジャズヴォーカル大賞を受賞している。タレントの松本伊代とは再従姉妹(はとこ)の関係にあった。
 早過ぎる死を悼むとともに、昭和の思い出を彩ってくださったしばたはつみさんに心からの敬意と感謝の意を表したい。しばたさん、ありがとうございました。



■「合鍵」 1974年■

http://www.youtube.com/watch?v=lYXOH6l5CPk



■「マイ・ラグジュアリー・ナイト」 ピアノ伴奏は世良譲 1977年■

http://www.youtube.com/watch?v=mz-iJ62xgvw



■「マイ・ラグジュアリー・ナイト」 20年後です♪ 素晴らしい! 1997年■

http://www.youtube.com/watch?v=amvwqnKMwqU


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オロナイン軟膏 [その他]

オロナイン軟膏1.jpg 子どもの頃は家族全員が使っていた大塚製薬の『オロナイン軟膏』。もちろん今でも家庭の置き薬としては定番商品だよね。あまりにも当たり前のアイテムなので普段はつい見過ごしちゃうけど、この薬って何なんだろう?
 発売されたのは昭和28年(1953)。オペを行う部位の皮膚消毒や執刀者の手指消毒なんかに使用される殺菌薬のグルコン酸クロルヘキシジンが主成分で、これにラウロマクロゴールやポリソルベート80のような界面活性剤やミョウバンが添加されている第2類の皮膚用薬だ。
 処方自体はアメリの製薬会社オロナイトケミカル(現シェブロン・オロナイト)が製造した殺菌用消毒液のものなんだけど、当時の日本ではメンソレータムなどの半固形の塗り薬が人気商品だったので、これを軟膏として売り出そうということになったんだ。
 ところで、茶色い小箱に入ったオロナイン軟膏の小さなチューブ(2.5g)を覚えてる人はいない? 発売当初から60年代にかけて大塚製薬が全国にバラ撒いた試供品なんだけど、父がよく職場から持ち帰って来てくれたので、ぼんくら家の薬箱には一時期、絶えることなくこのミニチューブが入っていたよ。
オロナイン軟膏2.jpg こうした地道な拡販戦略に加えて、オロナイン軟膏で特筆すべきはあらゆる広告媒体の活用だ。
 初っ端は映画『君の名は』で大ブレークした佐田啓二と岸恵子を新聞や雑誌の広告に起用し「君の名はオロナイン」というコピーが使われた。またラジオ番組では『ダイマルラケットのお笑い街頭録音』で中田ダイマルと中田ラケットが「聞いてみてみ、つけてみてみ」というフレーズを流行らせた。
 オロナイン軟膏でいちばん有名なのはテレビ番組中で出演者がしちゃう生CMだろう。昭和34年(1959)から1年間、日テレ系列で放送されたコメディ時代劇『頓馬天狗』では、主役を演じた大村混が「尾呂内南公」という名で、しかも決め台詞が「姓はオロナイン、名は軟膏」ときたもんだ。芦屋雁之助や芦屋小雁などを脇役に従え、脚本や演出を花登筺が手がけるという本格的な番組で、オロナイン軟膏を全国に普及させる原動力となったのだった。
オロナイン軟膏3.jpg オロナイン軟膏の広告でもうひとつ、忘れちゃならないのがホーロー看板だ。浪花千栄子がオロナイン軟膏の容器を持ってにこやかに微笑む姿を思い出す人も多いだろう。大塚製薬のホーロー看板については、今後も製品共々、紹介していくね。
 テレビCMは時代と共に松山容子、浪花千栄子、香山美子、名取裕子、純名りさ、そしてクレヨンしんちゃんからちびまる子ちゃんへと受け継がれていく。さて、いつの時代のCMを覚えてる? 最近は「働く手をほめよう」っていうキャッチのドキュメント仕立てになってるよね。
 オロナイン軟膏は、昭和44年(1969)に『オロナインD軟膏』に、昭和47年(1972)からは『オロナインH軟膏』へと名前を変えているけど、これは主成分の変更に併せて名前が変わっていて、現在のHは先述のクロルヘキシジンのヘキジンを表しているよ。
 名前は変えるのにパッケージは頑固に変えてないのもオロナイン軟膏の特徴だね。これは、
「パッケージを変えてしまう事で、安易に商品イメージを変えてしまうとお客様がわからなくなる」
 だからだそうだ。平成15年(2003)には50年ぶりの新製品『オロナイン液』が発売されたけど、オロナイン軟膏のほうは相変わらずのパッケージのまま。どうせならボクらが生きてる間はこのままでいって欲しいもんだね(笑)。



■「頓馬天狗」のシーンと主題歌 1959年■

http://www.youtube.com/watch?v=pjJQN-HyBoc



■「オロナインH軟膏」のCM by 名取裕子 1985年■

http://www.youtube.com/watch?v=B-7ekpn6Ksk



■「オロナインH軟膏」のCM by ちびまる子ちゃん 年代不明■

http://www.youtube.com/watch?v=gTy3XPf19Gs


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魚雷戦ゲーム [遊び]

魚雷戦ゲーム2.jpg 昭和42年(1967)にエポック社から発売された『魚雷戦ゲーム』。照準器で敵艦を捕捉してパチンコ玉のような鉄球を発射。3隻の敵艦を先に沈めた方が勝ちとなるという実にシンプルな遊びだ。
 問題は魚雷の役目をする鉄球が思ったように転がってくれないことだ。盤によって微妙なクセがあるのだ。だから自分の家にあるもので向かうところ敵なしだったとしても、意気揚々と友だちの家に出向いてその家の盤で闘うとボロ負けなんてことがあった。フツーに狙うのがつまらなくなってくると、ビリヤードのように台の側面に魚雷を当ててバウンドさせて敵艦を狙うなんてテクニックを弄する輩が出てくるところも面白かった。
 魚雷戦ゲームは昭和43年(1968)に2連発となり、昭和46年(1971)にはリフレクトスコープが実装され、スコープを覗き込みながら魚雷を発射することが出来るようになった。そして昭和49年(1974)には砲台の位置がはす向かいとなり、昭和51年(1976)モデルでリフレクトスコープが砲台と分かれて独立する。また平成元年(1989)には宇宙船仕様の『アストロウォーズ』が発売されて、砲台を回すと連動して自艦が左右に動く敵襲回避機能が搭載された。
魚雷戦ゲーム3.jpg そして現行の魚雷戦ゲームは、独立式リフレクトスコープ、連動式発射管(6連発)、敵襲回避機能を搭載しながら、71年モデルをベースにした懐かしいデザインを復刻させたものになっている。メーカー希望価格は税込で3,990円とお手頃だ。少年時代が甦る魚雷戦ゲーム、お子さんやお孫さんと遊んでみちゃどうだろう?



■最新型魚雷戦ゲーム2005年モデルを紹介しています。面白そう♪■

http://www.youtube.com/watch?v=9Nlwe_ucp24


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昭和生まれだから分かることがある I [コラム]

ボクらの世界.jpg


ボクらは多様性のない時代に育った。
食べる駄菓子も同じ。
遊びも同じ。
ファッションも同じ。
観るテレビ番組も同じ。
聴く音楽も同じ。
読むマンガも同じ。
「違う」ってだけで仲間はずれにされた。

大人は世間体を気にしていた。
お隣さんが紅茶キノコを育て始めると、
慌てて違うお隣さんから菌を分けてもらった。
子どもの友達が塾に通い始めたのを知ると、
自分の子どもも塾に放り込んだ。
近所の家からピアノの音が聞こえると、
ローンでピアノを買って、
子どもを音楽教室に通わせた。

親も先生も、
子どもが言うことを聞かなければ、
容赦なく叩き、
意見を聞くことなく従わせた。

でも、ボクらには、
ボクらだけの時間があった。
ボクらだけの場所があった。
大人は暴君だったけど、
ボクらのことを異星人だと知っていて、
ボクらの世界に踏み込もうとはしなかった。

児童心理学者が社会的な認知を受けず、
児童心理カウンセラーが商売にならなかった頃、
ボクらには本当の自由があった。
大人には決して入り込むことを許さない
ボクらだけの世界があった。
ボクがボクであるために
絶対に大人に渡せない世界があった。

そしていま、ボクらの子どもたちは…



■「黒い絵」 公共広告機構30周年記念CM 2001年■

http://www.youtube.com/watch?v=SNv4hBbu8K4


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ベルボトム [ファッション]

ベルボトム1.jpg 昨日まで半ズボン姿でいた小学5年生のぼんくら少年が、ある日ついにジーパンを穿いた。小遣いを貯めて新宿で買ったのだ。
 レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジの写真を母に見せて、
「あーん、これ欲しい欲しい欲しい~よぉ~」
 とねだったんだけど、
「そんなの、まだ早いでしょ! どうしても欲しかったら自分で買いなさいっ」
 と言われたのを真に受けたんだけど、察しのいい人は、
「え~、小学生がそんなの買っちゃってぇ^^;」
 って言うだろうね。今どき子どもがジーパンを穿くのは当たり前だし、当時だってそうだったんだけど、ジミー・ペイジが穿いていたのはベルボトムだったのだ。
 パンタロンとかラッパズボンとも呼ばれていた、膝下が裾に向かって広がっているズボンといえば思い出したかな。丈長のブーツが下に履けるためにブーツカットと呼ばれることもあるよ。1960年代の中頃にパリコレクションから生まれたスタイルと言われていて、ヒッピー文化として定着してからは1970年代の後半まで世界中の若者に親しまれたんだ。
 日本で流行り出したのは1960年代も末になってからだから、ぼんくら少年は、まさに流行の最先端をいっていたことになる。2年近くに及んだ田舎暮らしから解放された反動で髪も長く伸ばしていたから、ベルボトムを穿けばチビながらヒッピー・スタイルが完成した。さすがに学校や友達と遊ぶ時は穿かなかったけど、ちょっと遠出する時はお気に入りのバンダナで長髪を縛り、妹にメタル系のブレスレットを借りて、いっぱしのロック・ミュージシャン気取りもいいところだった。
ベルボトム2.jpg 父は息子がどんな格好をしようが全くの無頓着で、
「そのほうが人混みで見つけやすいな」
 なんて調子なんだけど、母は、
「もう恥ずかしいったらありゃしない。私と一緒に出かける時は絶対にフツーの格好にしてよ!」
 言うことを聞かなかったら坊主刈りにするという脅迫までオマケにつけるほど嫌がった。妹は兄貴のスタイリストを自称していた(早い話が生身の着せ替え人形扱い)ので、自分のTシャツやらベルトやら缶バッジやらを景気よく兄貴に貸与して、長男をヒッピーからIVY路線に変える母の目論見をことごとく潰していた。勝手に髪の毛を切ったり、面白がってマニキュアを塗ったりすることもあったので参ったけどね^^;
 カブれたのが早かったせいか、ベルボトムからの卒業も早くて、中2の頃には、やっぱり流行り始めて間もないスリムに乗り換えちゃった。流行り廃りもあるんだけど、いちばんの理由は、小遣いをはたいてベルボトムを買っても、成長期なのでアッという間につんつるてんになっちゃうって問題だった。つんつるてんのベルボトムがどんなにみっともないかは、一度でも穿いたことのある人なら分かるよね。そうなっちゃっても適当な長さにハサミを入れてハーパンや短パンにすればいいんだけど、やっぱり悲しいし。
ベルボトム3.jpg 1980年代には、今度は猫も杓子もスリムジーンズになっちゃったけど、地味ながらファッション・シーンではベルボトムの人気は根強かったようで、よく言われる「10年サイクル」で波を描きながらもフレアパンツなんかでは定番になってるし、ロック・ファッションとしても依然として人気は衰えていない。
 え、今のぼんくらオヤジはベルボトムを穿く気はないのかって? ファッション以前にこのビールっ腹をどげんかせんと^^; ま、スリムで身軽だった少年時代の思い出にしとくよ(泣)。
 
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バヤリースオレンジ [食]

バヤリーズ2.jpg ぼんくら少年はミカンやレモンといった柑橘系の果物に目がなかったんだけど、特にオレンジは別格の存在だった。1970年代にだってオレンジはあったんだけど、1個が300円はゆうにする高価な果物だったのだ。ごくまれにお土産で頂いたものを家族5人で分け合って食べるもんだから、まるでハンバーグプレートのデコレで付いてくるような5分の1カットを口にするのがせいぜいで、まるごと1個にむしゃぶりつけたのは、下宿暮らしを始めてからだった。
 そんな口寂しい20世紀少年の救世主が『バヤリースオレンジ』だった。『バャリースオレンヂ』という綴りで覚えてる人もいるかもしれないけど、これも正解! 昭和62年(1987)以前はこの表記だったんだ。
 なんでそうだったのかというと、そもそもこの飲み物がアメリカ生まれで、"Bireley's" という綴りだったからだ。
バヤリーズ3.jpg バヤリースオレンジが誕生したのは、なんと昭和13年(1938)。アメリカの科学者フランク・バヤリーが果汁の風味や香りを損なうことなく長期保存するための殺菌法を開発し、それを米ゼネラルフーズ社が買い取って発売したんだ。
 日本では朝日麦酒(現アサヒビール)がゼネラルフーズと契約を締結して、昭和26年(1951)に販売が開始された。本当は昭和24年(1949)にはウィルキンソン社(れっきとした日本の会社だよ!)が日本国内での製造販売権を取得して進駐軍向けに供給していたんだけど、当時の国内法との絡みでおおっぴらに売ることができずにいたんだ。よって全国販売が開始され、平成2年(1990)に兵庫県西宮市塩瀬町生瀬のウィルキンソン鉱泉が閉鎖されるまでは、製造はウィルキンソン・タンサン鉱泉株式会社が行っていた。
 日本では、原価を押さえ込むためにオレンジにミカンをブレンドした20パーセント果汁になってるから、チープな感じがするかもね。でも当時は生の果汁が使われているということだけでも十分に話題性があったわけで、販売が開始されるとたちまちヒット商品になっちゃった。
 売り上げのピークは意外に最近で、平成9年(1997)の1732万ケース。以降は『Qoo』や『なっちゃん』などのライバル商品や緑茶ブームのあおりをくって、平成15年(2003)には710万ケースにまで激減する。その後、着色料を廃止するなどのリニューアルを着々と行った結果、現在では1400万ケースにまで販売数を回復して再び果汁飲料市場のトップの座に付いている。なんだかバヤリースオレンジって昭和の飲み物って印象が強いんだけど、未だに清涼飲料水の世界では王様級の存在なんだね!
バヤリーズ1.jpg ところで懐かしいマスコットキャラのバヤリース坊や(バヤ坊)だけど、ぼんくらオヤジと同じ昭和34年(1959)の生まれだよ。平成11年(1999)に一度引退したんだけど、平成14年(2002)に復活を遂げ、現在ではオレンジだけにバヤ坊が使われている。やっぱり昭和生まれにとってバヤリースオレンジとバヤ坊は分けて考えられない存在だよね(笑)。

注: コメント欄にて井上酒店さんからバヤリースオレンジには10と50があるとの情報を頂きましたが、これはアサヒ飲料から出ているリターナブル瓶のみで、それぞれ果汁のパーセンテージを表しています。それ以外はオレンジ&ミカンの20パーセント果汁となります。話が複雑になるのを避けたかったので敢えて書きませんでした。ついでなので補足しますが、アサヒ飲料とは別系統に沖縄バヤリースという企業があって、沖縄バヤリースの出しているバヤリースオレンジは果汁10パーセントのみで、内容もミカンを含まないオレンジ果汁となります。こうした違いは本土でバヤリースオレンジが販売された当時、沖縄がアメリカの支配下にあったという事情によりますが、話が込み入っていますので、ここではこの辺に留めたいと思います。



■"Drink California!" 1980年代前半■

http://www.youtube.com/watch?v=iWQyTi1dxx8



■ 「おいしさ盛りは カリフォルニア」 1988年■

http://www.youtube.com/watch?v=GTBacm4aMMA



■「飲むなら、メジャーだ」 久保田利伸編 1991年■

http://www.youtube.com/watch?v=dgqTCKNzbEA


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天才・たけしの元気が出るテレビ!! [テレビ]

元気が出るテレビ1.jpg 先日のウィッキーさんの記事で登場した『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』は昭和60年(1985)4月から日テレ系列で放送されたバラエティ番組だ。
 ビートたけしの冠番組で、松方弘樹をはじめ原田大二郎、宝田明、野口五郎などがレギュラー出演していた。現在は当たり前の手法を先駆けて実現させた画期的な番組でもあったったんだけど、イケメン俳優やアイドル歌手がバラエティ番組でお笑い芸人とつるんでバカをやるなんてことは、当時の番組じゃあり得ないことだった。
 芸能界で言う「一般人」を高田純次なんかが突撃ルポして巻き込み、一躍時の人に祭り上げるなんて過激なこともやっていたよね。商店街の片隅で何十年と蕎麦を打って暮らしてきたお爺ちゃんを有名人にしちゃったり、好き放題をやって贅沢三昧に明け暮れる田舎の成金一家をおだてて殿様気分にさせたりと、今考えてもやり過ぎなんじゃないかと思うことをやっていた。
 この番組が最も過激で先駆的だったのは、扱う内容がフィクションなのかそうではないのかを視聴者に対してウヤムヤにするという手法をとったことだ。
 たとえば、ある町の商店街に奇妙な素行で知られるお婆さんがいるという話題があったとする。そこに高田純次をリポーターとする取材クルーが乗り込んで、商店街を巻き込むハチャメチャなリポートを交えながら問題のお婆ちゃんに肉薄するんだけど、道具立てとしての商店街や取材を受ける人々は本物であっても、肝心のお婆ちゃんはウソなのかホントなのかが視聴者には少しも分からないんだよね。もちろん最後までその辺の真偽が明かされることはなく、ただ成り行きが面白かったというイメージだけをのこして番組は終わっちゃう。
元気が出るテレビ2.jpg その後、こういう手法はドキュメント・バラエティというスタイル名が付けられて、以降の『電波少年』などのバラエティ番組に引き継がれていく。後続の番組群とは違って、ヤラセなんて言葉が一般の視聴者に知られていなかった頃のことだから、こうした違和感や混乱が視聴者に与えたインパクトは大きかった。
 それだけに批判も大きく、
「内容が馬鹿げている上に真偽のほどが明らかではない番組で、子どもたちに与える悪影響が懸念される」
 と、全国のPTAからは子どもに見せたくない番組のトップ5に、オンエア中の11年間にわたって名前が載り続けるという「怪挙」を達成した(笑)。
 また番組に取り上げられて人気の急上昇した人物や会社、商店街なんかが、企画終了後に再び見捨てられて様々な問題を引き起こす事態も少なからず発生し、テレビ制作に携わる人々のモラルが問われることにもなった。
元気が出るテレビ3.jpg たけしが有名なバイク事故を起こした後に精彩を欠いた時期があったことや、後発のフジテレビのバラエティ番組『だうんたうんのごっつええ感じ』やNHK大河ドラマ『秀吉』の大ヒットなどに視聴者を奪われたことで、番組は平成8年(1996)10月で打ち切りとなった。でも、ホントのところは、たけしが最終回の時に自身で語ったように、
「今のバラエティでやっていることはすべてこの番組でやってきた」
 という言葉がすべてだったんじゃないだろうか。およそテレビで遊べることはあらかたやっちゃったんだと思うよ。その後のバラエティ番組で『元テレ』を超える番組は出ていないもんね。やっぱりビートたけしは天才なのだ。



■軽井沢はとある蕎麦屋の怪しい蕎麦打ち名人 年代不明■

http://www.youtube.com/watch?v=Vo_YkqWGP28



■人気コーナーだった「早起きウエスタン」 年代不明■

http://www.youtube.com/watch?v=iP1JYZ0ioow



■「ジェットコースター」シリーズ ラストの宅八郎が圧巻! 年代不明■

http://www.youtube.com/watch?v=yKyUi86QoDo


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ウィッキーさんのワンポイント英会話 [テレビ]

アントン・ウィッキー.jpg 昭和54年(1979)から日テレの『ズームイン!!朝!』で『ウィッキーさんのワンポイント英会話』を担当していたのがアントン・ウィッキーさんだ。
 昭和15年(1940)にスリランカの裕福な家庭に生まれ、国立セイロン大学を卒業後、昭和36年(1961)に文部省の国費留学生として初来日。その後は東大農学部大学院で海洋生物学を学んで昭和44年(1969)に博士号を取得したという超エリートなんだよね。
 先に紹介した『ウィッキーさんのワンポイント英会話』は15年間も続いた人気コーナーだったから、東京で生活していた人なら彼に声をかけられた人がいるかもね♪ 朝の通勤・通学中の人にいきなり英語で声をかけ、質問するというゲリラ手法がお茶の間にアピールしたんだけど、当然のように逃げちゃう人もいて面白かったよね。考えようによっては迷惑な企画なんだけど、ウィッキーさんから滲み出る優しさとウィットのおかげで全然、不快な印象を受けなかったところがミソだったのかもしれない。
 15年の生放送のうちには様々な珍事件があったようだけど、ぼんくらが今でも覚えているのは、昭和63年(1988)に鞍馬天狗に扮したビートたけしとリポーター役の高田純次がこのコーナーに通行人として乱入した時のことだ。その時の模様は下のYouTubeの動画で楽しんでもらいたいんだけど、福留さんに正体を見破られるまでのたけしのしたい放題とウィッキーさんの生真面目な態度が対照的で可笑しくて仕方がなかった。これって、てっきりヤラセだと思ってたんだけど本当に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のゲリラ出演で、『ズームイン!!朝!』のスタッフから後日、たけしは散々お灸をすえられたらしい(笑)。
 最近はごくまれに『ズームイン!!』関連の特番に出たり、イエローハットのCMで顔を拝める程度だけど、ウィッキーさんは日本各地の大学教授を歴任後、現在は千葉の麗澤大学で国際比較学の教鞭を執っておられるとのこと。マスコミへの露出度が少ないことについては、
「大学の講義を犠牲にしてまでレギュラー番組に出演するつもりはない」
 と仰っている。さすがだね、ウィッキーさん♪



■ビートたけし VS ウィッキー 1988年■

http://www.youtube.com/watch?v=2kW0UOiuTM8



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