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ボウリング・ブームを覚えてますか? [社会現象]

 ぼんくらオヤジが少年期を過ごした東北の温泉町には、万博の余韻も冷めやらぬ昭和45年(1970)の暮れに、ホテルの付属施設としてボーリング場ができた。付属施設とはいっても20レーンの本格的なもので、町民は1ゲーム100円で遊ぶことができた。しかも小中学生はシューズのレンタル代が無料で、平日なら1ゲームが50円という大盤振る舞いだったから、ぼんくらオヤジも友達と誘いあってボウリングに熱中した。
中山律子.jpg それにしても、当時のボウリング・ブームは凄かったよね。土日にテレビを点ければ、どこかのチャンネルでは何かしらのボウリング番組をやってたし、CMには中山律子か須田開代子が顔を出していた。このふたりがスポーツ界を代表するライバル同士としてもてはやされたおかげで、ぼんくらオヤジのクラスの女子は中山派と須田派に分裂。男子もどっちかに味方しなけりゃ双方から干される立場に追い込まれてエラい目に遭った。ぼんくら少年は面食いだったので、美人だというだけの理由で中山派に所属。だが、クラスのアイドル的存在で学級委員でもあったC子が須田派だったこともあって中山は少数派に転落し、長期間にわたって中山派は律子グッズを体育館裏で密かに見せあったり、ボウリング場では「律子ファンはガッタガター」などとヤジられたりと肩身の狭い思いをすることになったのだった。
 そんな悲喜こもごものボウリング・ブームも、昭和47年(1972)をピークに徐々に冷め、翌48年(1973)のオイルショックをきっかけに急速に衰退していく。ぼんくらオヤジが大学に入るころには、ボウリング場のほとんどは廃墟と化していた。友達と入り浸っていたボウリング場も、その頃には潰されてゲームセンターに様変わりしていた。
須田開代子.jpg 現在では、かつてのようなブームとは程遠いものの、ボウリングは身近なスポーツとして定着している。完全に廃れなかったいちばんの理由は、かつて一世を風靡したプロボウラー達が、マスコミが見向きもしなくなったその後も地道に、そして必死に浮沈を乗り越えてきた結果だといわれている。先の中山・須田両プロは、ともに手を取り合って、ブームの過ぎ去った昭和51年(1976)に『ジャパン・レディス・ボウリング・クラブ(JLBC)』を設立。相次ぐボウリング場の閉鎖の中でスポンサー探しに奔走する傍ら、ボウリング場周辺の地元住民に手弁当で指導を行うなどの涙ぐましい努力を重ねて、昭和53年(1979)のブーム再燃まで業界を持ちこたえさせていく。中山プロは、平成7年(1995)11月に須田プロが病に斃れた後も活動を続け、平成16年(2004)には女性初の日本プロボウリング協会の会長に就任。10月で68才を迎える今も、日本のどこかでボウリングの普及に心血を注いでいる。


■律子さん~律子さん~ナ・カ・ヤ・マ・律子さん♪■




■野村美枝子&石井利枝、ボウリングブームを語る■




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ペコちゃんとポコちゃんの秘密を探る [その他]

ペコちゃんポコちゃん.jpg 昭和生まれの人、特に戦後世代なら個人の性別や趣味趣向とは無関係に、ほとんどの人は『ペコちゃん』と『ポコちゃん』を知っているだろう。ふたりとも『ミルキー』のマスコットキャラクターで、名前の由来は、子牛の方言である「べこ」と幼児の古語である「ぼこ」を洋風にアレンジして誕生したといわれている。
 このふたりはどういう関係にあるんだろうか? 兄弟? それとも友達同士? 答えは友達同士。これは、ペコちゃんが昭和25年(1950)に誕生したんだけど、ひとりじゃかわいそうだし、それならボーフレンドをってことで翌年にポコちゃんを加えたっていう経緯によっている。たしかに兄弟にしようかという案もあったんだけど、そうなると「パパ・ママは?」、ひいては「ほかの兄弟は?」「おじさん・おばさんは?」と収拾がつかなくなるということで立ち消えになったらしい。その結果として、ペコちゃんとポコちゃんには両親がいないという異常事態が発生してしまってるんだけど、これは問題とならなかった由。何で?
ペコちゃん1.jpg じゃあ、ふたりの年齢は知ってる? ぼんくらオヤジも初めて知ったんだけど、ペコちゃんは永遠の6才で、ポコちゃんは永遠の7才。ちなみにペコちゃんの身長は100cm。体重は不明だが、スリーサイズはB58cm、W55cm、H63cm。ポコちゃんも身長は100cmなんだけど、体重・スリーサイズともに不明。
 ポコちゃんがごくフツーの男の子だったのに対して、ペコちゃんは野球とホッピングが趣味という、当時としては時代の先端を行く女の子だった。まだ「女のクセに」なんて今じゃ信じられない言葉が健在だった頃だよ(一部の政治家を除く)。




■ペコちゃんとポコちゃんの共演CM■



■ペコちゃん、パーマン・怪物くんと共演する■




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あなたが聞いた昭和の音は? [その他]

黒電話.jpg 先日、近所を家族と一緒に歩いていたら、小5のぼんくら次男が、
「警報が鳴ってる! 火事か泥棒だよ!!」
 と騒ぎ出した。耳を澄ませてみると、確かにベルの音がする。でもその音は、ぼんくらオヤジを警戒させるどころか、街角で旧友に出くわしたような懐かしさを呼び起こしたのだ。
「あれはね、電話の音だよ」
 疑わしそうな顔の次男を見て、たまりかねたぼんくらオバンが、
「昔の電話、知ってるでしょ。黒くて、ダイヤルに指を突っ込んで回すやつ。あれって、電話がかかるとあんな音がするのよ」
 と補足説明をすると、次男はあっさりと頷く。け! いつだってこーだよ。ぼんくら家ではオオカミ少年系のオトンは異常に信頼度が低く、オカンの言うことは絶対的な権威があるのだ。そのオカンが、
「でも、あれってホントの音じゃないでしょ。たまたま呼び出し音がそーなってるだけよ」
 などと余韻もへったくれもないことを言うもんだから、たちまちにしてこの話は落着しちゃった。
 黒電話の呼び出し音、あれは間違いなく「昭和の音」のひとつだ。
昭和の音_豆腐屋.gif ジオラマ作者の山田卓司がタカラトミーから出した『昭和の音』という玩具には、豆腐屋・紙芝居・焼き芋屋・ラーメン屋台・風鈴売り・金魚売りの6種類が採用されているけど、ぼんくらオヤジにはどうにもピンとこないものばかりだ。昭和といっても世代が違うのは確かだけど、それだけじゃ片付かない何かを感じるのだ。マンガの『三丁目の夕日』には感じなかったけど、映画で覚えた違和感。ほら、昭和村や博物館で、よく実物をレイアウトした茶の間やお店のジオラマがあるけど、あれを見て何かしらのウソっぽさを感じたことはない?
 あれって何なんだろう? 単に生活感がないからかな。う~ん、じゃあ映画も生活感が出てなかったんだろうか。それも違うような気がする。たぶん、何かを見落としてるんだよ。
 音に話を戻そう。皆さんは「昭和」を生きていた時分に、何を聞きながら暮らしていたろう? 世代によって違うのは当たり前。ぜひ、コメント欄に思い出した音を投稿してみてください。豆腐屋のラッパや屋台のチャルメラみたいにありがちな音じゃありませんよ。日常、聞いていたはずなのに、今では聞こえない音です。
 ぼんくらオヤジは…、柱時計のカチコチ音と時を告げるボーンボーン。ラジオのチューニング音。レコードに針を載せるときのボツンって音。畳んである蚊帳を広げるときのカサカサした音。壁のスイッチをオン・オフする時のクリック音。正午を告げるサイレンの音。お店のドアに付いていて、ドアを開閉するたびに鳴っていた鈴の音。ヒノキの風呂桶と湯桶や手付き桶がぶつかる鈍くて優しい音。思い出してみれば、かつては当たり前に聞いていたのに今では全く耳にしない音はいくらでもあるのだ。
 豆腐屋さんを連れてくるまでもなく、確かに聞こえていた無意味な音。もしかすると、雑音こそ、生活実感を支えていた真の主役だったのかもしれない。


■柱時計のチックタックチックタックボ~ンボン■




■黒電話のチリリリーン■




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アメリカン・ホームドラマ『アーノルド坊やは人気者』 [テレビ]

Diffrent-Strokes.jpg 昨日の『パートリッジ・ファミリー』を知らない世代が、
「こだよこれっ!」
 って膝を叩いてくれるのが、1978年から86年までのロングヒットとなった『アーノルド坊やは人気者(Diff'rent Strokes)』だ。
 ハーレムに住む黒人兄弟のアーノルドとウィリスのお話で、母親が亡くなって身寄りのなくなった二人を、パークアベニューの富豪ドラモンドさんが養子として引き取ったことからトンでもないドタバタ劇がスタートする。ぼんくらオヤジは、ドラモンドの娘キンバリーとちょい役で登場するお手伝いさん達が大好きだったけどね(笑)。今じゃみんなが当たり前のように使っている、
「冗談は顔だけにしろよ!」
 というフレーズはこの番組が生みの親だ。
 息が出来ないぐらい笑わせてくれるんだけど、当時の黒人差別や貧困層の問題などのテーマがサラリと盛り込まれているあたりはタダモノではなかった。ゲストも、Mr.TからJanet Jacksonまで、とにかく豪華だったなぁ!
 パートリッジ・ファミリーと違うのは、キャストのその後だ。
 弟のアーノルドを演じたゲイリー・コールマンは番組終了後、どうしてか次々に犯罪に手を染めるようになって芸能界から追放されてしまう。その後は何とか立ち直って、一時期はレストラン経営を手がけていたようだけど上手くいかず、現在は警備のバイトをしながらテレビゲーム三昧の毎日を過ごしている由。
 兄のウィリスを演じたトッド・ブリッジスは、テレビを中心にコツコツと俳優業を続けていたんだけど、1997年に暴力沙汰を起こして逮捕されてしまう。ただその後、数年間にわたる熱心な社会奉仕活動を経て業界復帰を果たし、現在では俳優業以外にも脚本やプロデュースも手がけるなど多彩な活動を行っている。
 キンバリー役のダナ・プラトーは、『アーノルド』以降はまったく役に恵まれず、それでもどうにか細々と女優業を続けていたんだけど、1991年にビデオレンタル屋で盗みを働き逮捕され、その頃からドラッグにも手を出すようになったらしく、1999年5月にドラッグの多量摂取で亡くなってしまった。自殺とみられている。
 唯一、無傷だったのはドラモンド役のコンラッド・ベインで、この番組ばかりでなく様々なテレビ・ドラマに出演して名脇役の地位を確立。現在はカリフォルニアで隠退生活を送っている。御年86才。
 当たり役の俳優さんが、実生活でも役柄の背負っていた陰なり光なりを反映した人生を送るというのは間々聞く話だけど、何だか本当のことのようにも思えてくるよね。でも、ホントのところは、アーノルド坊やを巡る世界の現実が番組に正確に反映されいたんだってことじゃないんだろうか。笑いと涙は紙一重なんだね。





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アメリカン・ホームドラマ『パートリッジ・ファミリー』 [テレビ]

パートリッジ・ファミリー1.jpg 1972年(昭和47年)の4月から1年間ほど放映されたアメリカのホームドラマ『人気家族パートリッジ(ゆかいな音楽一家)』を覚えてる?
 お父さんが亡くなっちゃって経済的に大変な思いをしているお母さんを助けようと、5人の子供たちがバンド活動をするってお話だった。お母さんが運転するバス(スクールバスだったと思う)で演奏旅行をするんだけど、旅の途中でいろんな珍事件が発生するんだよね。アメリカ製ドラマのお約束「聴衆の笑い声」を仕込んだありがちな構成だったけど、自分と同世代の子供たちが活躍する様が他人事には思えなくって、ぼんくらオヤジはハマっちゃいましたよ! 知り合いがくれたポスターを部屋のいちばんいいところに貼り、サントラ盤を文字通り擦り切れるほど聴いてた。長男役のデヴィッド・キャシディはイケメンでもあったけど、歌も上手かったので、音楽だけでも十分に楽しめた。ヒット曲になった「悲しき初恋 (I Think I Love You)」なんて、聴けば思い出すかも。
パートリッジ・ファミリー2.jpg ファンだった人のために情報を追加すると、キャストの皆さんはママも含めて全員、健在。デヴィッド・キャシディは舞台俳優や歌手活動で活躍中。次男役のダニー・ボナデュースはもうすぐ50才。えへ、ぼんくらオヤジと同い年だったんだ! ラジオやテレビのパーソナリティ、コメディアンとして活躍している。一時期はプロレスラーもやってたらしい(そういやドラマでもアマレスをやってたっけ)。長女役のスーザン・デイはゴールデン・グローブ賞を受賞するなど、押しも押されぬ女優となった。次女役のスザンヌ・クルーフは大学を卒業して1993年まで書店経営をしていたけど近況は不明。初代三男役のジェレミー・ゲルブワックスは、コンピュータ業界を経て現在は経営コンサルタント業を営んでいる。2代目三男役のブライアン・フォスターは、長らくプロのレーサーとして活躍していたけど、現在は引退してレーシング・チームのコーチを務めている。マネージャー役のデイヴ・マッデンは、現在77才。フロリダで引退生活を送りながら、時折チョイ役でドラマや映画に顔を出している。そして、キュートなママ役を演じたシャーリー・ジョーンズは76才になった現在でも、歌手と俳優業を精力的に続けている。
 パートリッジ・ファミリーは架空の家族だけど、キャストの皆さんはボクらと同じ時間軸をそれぞれに生きてきた「仲間」なんだよね。そう考えるだけで、ぼんくらオヤジは心底、幸せな気分になれる。


■I Can Feel Your Heartbeat (バスが懐かしい)■




■悲しき初恋 (I Think I Love You)■




■デヴィッド・キャシディの近況(2007年。埋め込み不可なので下のリンクからどうぞ)■

http://www.youtube.com/watch?v=9ffk4NiTQYo




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銭湯といえば『ケロリン桶』だった [雑貨]

銭湯1.jpg ぼんくら少年の家には風呂場があったんだけど、ジタバタして息子がせがむものだから、よく家族で銭湯に行くハメになったらしい。両親とも風呂好きだったので、まんざらでもなかったようだけどね。父は息子を自転車の荷台に乗せてくれて、時折、自転車を止めては星空を指さし、星座にまつわるギリシャ神話を話してくれた。父のベルトを掴んでそっくり返りながら星空を眺めていると、神話の神秘に後押しされて宇宙に吸い出されてしまうような感覚に襲われたのを覚えている。
銭湯2.jpg そして、ぼんくら少年の宇宙旅行は石鹸と人の体臭の混じり合った独特の匂いで唐突に終わるのだった。明るい照明に目をしばつかせながらカラカラと引き戸を開けると木のカギがついた下駄箱があって、先ほどの匂いがもっと強くなり、カラーン、カコーンって音が聞こえてくる。見上げるような高台に座っているおじさんかおばさんにお金を払い、脱衣場で服を脱ぎ捨てると、ようやく最終ゴールの浴場に辿り着く。
銭湯3.jpg 早速、プールのような湯船に飛び込もうとすると、
「こらっ」
ケロリン桶白.jpg っと腕を掴まれ、白い桶で頭からお湯をぶっ掛けられた。恨めしい思いも手伝ってか、ぼんくら少年の脳裏には、この湯桶のことが妙に焼き付いてしまった。ただ白いわけじゃなく、桶の底に赤い文字が印刷されていたのが印象的だった。
ケロリン桶黄.gif やがて、字が読めるようになった頃には、銭湯の湯桶は白から黄色に変っていた。底の赤い文字は『ケロリン』と読めたので、ぼんくら少年は「ケロリン桶」と呼んでいたんだけど、これが正式名称だとは夢にも思わなかった。
 この『ケロリン桶』は、内外薬品の頭痛薬『ケロリン』の販促用品として昭和38年にお目見えした。衛生上の問題から材質が木から合成樹脂に切り替わる時期と重なったことで、ケロリン桶は全国の銭湯や温泉、旅館やホテル、ゴルフ場の浴室などへ瞬く間に普及し、延べ200万個の納入実績を誇る湯桶となった。
ケロリン.jpg またケロリン桶は、ぼんくら少年のような危ない連中が蹴飛ばしたり乗っかっても壊れないだけの強度を持っていて、「永久桶」とも呼ばれているほどの優れものなのだ。手が滑らないように木桶のタガに相当する段差が付いているあたりも心憎い。顔となる文字が消えてしまわないように、キクプリントと呼ばれるプリント面を削ってインクを埋め込む当時の最新技術が採用されるなど、昭和を代表する工業製品に仕上がっているのがケロリン桶なのだ。
 現在でも年間に4~5万個が納入されているというケロリン桶。ボクらと共に歴史を刻んできたケロリン桶は、平成の今でも、かつてと寸分たがわぬ姿で活躍している。

学校周辺が実に怪しげなスポットだった頃のお話 [社会現象]

布教活動.jpg 先だって、ロケットペンシルの投稿に、
「校門前で怪しい行商のおじさんが(ロケットペンシルを)販売していた」
 という情報を頂いた(ふぁんくしょんDさんに感謝!)。そういやそうだった。学校の周りって、ミョーな大人たちがウロウロしてなかった?
 ぼんくらが真っ先に思い出したのは、
「アナタゥワ~キャミゥヲ~シンジマスカ~」
 当時は珍しかった青い目のガイジンさんが、たいていは二人組で、下校する子供たちをターゲットにこの質問を連発していた。子供たちは多少なりとも彼らのお相手をすると、およそ日本人向きじゃないオドロオドロしいイラストで聖書のエピソードを描いた小冊子やしおりなんかをもらえた。時には、英語の聖句を印刷したビニール製の小銭入れをもらえることもあって、ゲットした子が休み時間に見せびらかして人だかりができたりしてた。結構な宣伝効果があったんだよね、今にして思えば(笑)。時に紙芝居なんかもしてくれたこのガイジンさんの正体は、ほとんどが『末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)』の若者たちだったようだ。後に『エホバの証人(『ものみの塔』はエホバの証人が運営する別法人)』も同じような布教活動を行っているので多少の混乱があるかもしれないけど、いずれもアメリカ発の宗教団体で、学校周辺や街中でウロウロしていたのは、こうした宗教活動に燃えて世界中に派遣された若者たちだった。当時は珍しかったスポーツタイプのチャリで往来を疾駆する様は、田舎者のぼんくらには異星人に見えたな(笑)。
マニカラーペンシル.jpg 怪しかったのはガイジンさんだけじゃない。学校周辺の道端で時間限定の店を広げていた行商のおじさんこそ、怪しい大人の筆頭だっといっていい。先に紹介したロケットペンシルのおじさんなんかの他に、円盤の穴にペン先を突っ込んでグリグリ回すといろんな幾何学模様が描ける『アート定規』や、一本のペンが芯先を変えるだけで多色の色鉛筆に変身する『マニカラーペンシル』なんかを実演販売していた。後にこうした商売が問題視された時に、
アート定規.jpg「別にボッタクリ価格で売ってるわけでも、粗悪品を売ってるわけでもないのに、何がいけないんだろう」
 なんて思った記憶があるので、悪徳商法ではなかったと思うんだけど、被害を受けた人はいる?
 あ、待てよ。中にはホントに怪しい商品もあったぞ! 雑誌の印刷面に紙を乗せて、小瓶に入った液体をかける(かけて擦ったかな)と、乗せたマンガのコマや文字が転写されるってやつ。あの液体って何だったんだろう。不思議に思ったぼんくら少年が親に聞いても、
「おおかた家にあるようなものを薄めて売ってるんだろうから勝っちゃダメっ」
 なんて答えが返ってくるだけだった。一度、父親が面白がってベンジンや洗剤で試してみたけど、ダメだったような気がする。あの小瓶の正体を知ってる人、教えて! ぼんくら息子たちに見せて自慢するから(笑)。
 子供たちの安全を確保するための努力が実り、あの怪しい人影はいつの間にやら排除されてしまった。時は子供たちが「怪しい」とみなす人物が出没すれば、たちまち親のケータイ連絡網に警戒情報が流れる時代にまで進化している。事件事故はそれでも発生しているとはいえ、ボクらの子供時代とは比較にならないぐらい今の子供たちは安全なのだ。でもぼんくらオヤジは、
「白河の清きに魚も住みかねてもとの濁りの田沼恋しき」
 と、あの怪しい人々のことを愛しく思っている。えてして体に悪いものは美味い。危険とイカガわしさは、劇薬である半面、人の成長を育む栄養補助食品でもあり、楽しさの源泉でもあるんじゃないかと。目下、ぼんくらは二男が通うPTAの役員もしてるんだけどね、ヤバいな(爆)。


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初めてのマイ・ウォッチは『トラベル・クロック』だった [テクノロジー]

トラベルクロック1.jpg ジュエリー・ケースみたいな箱をパカッと開けると時計が姿を現す旅行用の携帯目覚まし時計。今でも主に海外で細々と生産が続けられていて、百均やドンキなんかでは時々、姿を見かけることがあるし、昔のものを現役で使っている人だっているだろう。
 『トラベル時計』とか『トラベル・ウォッチ(←和製英語です)』とも呼ばれていたこの時計が、昭和のある時期に日本に溢れ返っていたのは覚えてる? 大袈裟な言いようだけど、昭和40年代にトラベル・クロックのない家庭を探すのは、今の日本で電卓のない家庭を見つけるのと同じぐらい難しかったんじゃないだろうか。
トラベルクロック2.jpg 平平凡凡としたぼんくら家も例外ではなく、ぼんくら少年がもらった初めての目覚まし時計もトラベル・クロックだった。ベージュの四角いケースを開けると、いかにも安っぽい金メッキで縁取られた時計が顔を出す。文字盤に名所でも何でもないフツーのどこかのビルが描かれていたところをみると、とある会社の「創業○○周年」みたいな記念品だったんだろうね。これを引き出してケースと連結すると置時計になるという典型的なものだった。親の手を借りずに自力で起きる習慣を身に着けさせようという意図の下に手渡された時計だったけど、その携帯性ゆえに、ぼんくら少年は行く先々に時計を同行させるようになり、もらって半年ほどたった夏休みのある日、ついに造営中の秘密基地に置き忘れてきてしまう。夕立の後で気付いたぼんくら少年が慌てて回収に行ったときは、時計はケースの中で水没していた(泣)。ダメ元で父が分解して内部を乾燥させてくれたけど、ぼんくら時計1号が蘇生することはなかった。
トラベルクロック3.jpg トラベル・クロックは、一部の高級品を例外として構造が単純で安価に量産できたために、著しい経済成長の波に乗った国内の時計メーカーが競って生産を行い、一時期は「メイド・イン・ジャパン」を代表する製品として、海外でも高い人気を誇った。傑作なことに、国内では個人間の贈答品や企業の記念品としての需要がバカにならないシェアを占めていた。実用性もあってそんなに高い商品じゃなかったから、今じゃ想像もつかないほどの「贈答文化」にあっては極めて魅力的なアイテムだったわけで、巷にトラベル・クロックがミョーに多かったのも納得がいく。
 昭和50年代に入って電子式の小型目覚まし時計が登場すると、あれほどの隆盛を誇っていたトラベル・クロックは、まるで潮が引くように市場から姿を消していく。それは機械式時計と電子時計の交代を告げる時代の潮目でもあった。


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給食の牛乳瓶が三角パックに変わった日 [食]

牛乳三角パック1.jpg 小学3年生のある日、給食のトレイから牛乳瓶が消えて、同じ場所に三角の紙パックが載っていた。結構前から知ってたことだったけど、ワクワク半分、寂しさ半分の不思議な気持ちになった。嬉しかったのは、重い瓶をガチャガチャいわせながら運ぶ必要がなくなったことで、三角パックへの移行はイヤな当番がひとつ消滅したことを意味していた。紙という材質が液体の容器になることの不思議と、正四面体という普段お目にかからない形が何となく鉄腕アトムに通じる未来を感じさせてくれたのもワクワク感を増幅させてくれた。
 どうして寂しかったのかは、未だに説明がつかない。それまで世話になってきたものへの敬意を感じたことは確かだけど、それだけではあの気持ちを説明できない。消えゆくものに覚える気持ちは、子供も大人も変わらないんだろうか。まあ、ここでは妙な結論を出さずに、しばらくは疑問のままにしておこうか!
牛乳三角パック2.jpg 牛乳の三角パックを開発したのはスウェーデンのテトラパック社で、日本では、名糖牛乳が昭和31年にテトラパック社の牛乳充填機を導入して生産販売を始めた。でも、当初は瓶に比べて包装コストが割高なうえに、輸送中にパックが破れるなどの問題が多発し、回収しないで済むという利点も、安かった当時の人件費との兼ね合いで考えるとあまり意味がなかった。面白いのは、中身が見えない点が当時の消費者に支持されない原因となったことだ。そんなこんなで結局、昭和34年には、名糖は一旦、三角パックの製造を完全に停止している。
 三角パックが再び脚光を浴びるのは、昭和40年代に入って大規模店舗による小売販売が発展して、瓶の回収を必要としない売りっ放しの手法が安くつくようになってからだ。学校給食でも、学校単位で作っていた給食が給食センターでのセントラル・キッチン方式に移行する流れの中で、やはり回収を必要としない紙パックの利点が評価されて、三角パックの導入に繋がっていく。
 でも結局、管理しにくい形状が仇して、紙パックは徐々に扱いやすい四角錐に移行していく。NHKでは2003年を日本から三角パックが消えた日としているようだけど、実際は現在も地方のメーカーでは生産されている。ただパックの牛乳充填機がすでに作られていないため、完全に姿を消すのも時間の問題といえる。懐かしむなら今のうちだよ!


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ステキに美味いバナナ歯磨きのお話 [食]

子供歯磨き1jpg.jpg 銀玉鉄砲に続く恥ずかしい思い出をもうひとつ。タイトルで分かっちゃったよね。そう、ぼんくら少年は買ってもらったバナナ歯磨きをチュウチュウと食べちゃったのだ。幸か不幸か、途中でしゃっくりが止まらなくなったこともあって食したのはチューブの半分で済んだし、発覚も早くて、やっぱり近所のお医者さんのもとへ緊急搬送。直ちに胃洗浄をしてもらって大事には至らなかったけど、あれって放っておいたらどうなったんだろうね(^^;
 まったくおバカな少年の話でしかないんだけど、バナナって、昭和39年の輸入自由化でようやく庶民も食べられる果物になったとはいっても、昭和40年で1キロあたりの価格が264円(総理府統計による)。
「何だ、今とそんなに変わらないじゃん」
フローレット.gif なんぞと寝ぼけたことを言っちゃいけませんぜ。現在の貨幣価値に換算するには、これを4倍しなきゃならないわけで、今ならその辺のスーパーで200円以下で買えるバナナが1,000円以上したってことなのだ。本物をカンタンに口に出来なかった子供たちは、アイスやフローレット(砂糖を泡立てて固めたようなお菓子。これ→)みたいなバナナ風味のお菓子で満足していたんだからいじらしい。ぼんくら少年バナナ歯磨き摂食事件は、かくして起こった不可避の出来事なのだった(ちょっと無理だったかな^^;;;)。
子供歯磨き2.jpg ぼんくら少年が歯磨き粉を飲み込んでからというものは、ぼんくら家に子供歯磨きが置かれることはついぞなかった。巷ではイチゴ味やメロン味、オレンジ味の可愛いチューブが溢れていたというのに(号泣)。






■ライオン歯磨 ホワイト&ホワイト 1972年(子供歯磨きじゃないけど懐かしかったので)■



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